東京裁判は東京リンチだった

第二次世界大戦後の東京裁判と言われる、戦勝国による敗戦国へのリンチで、「平和に対する罪」 という、戦時中には存在しなかった、その後に作られた罪を、戦勝国によって無理やり押し付けられたものです。

裁判で、後で作った法律で、過去の行為を罰するというのはどういうものでしょうか?

例えばその昔、オートバイに乗るのにヘルメット着用は法律で決められていませんでした。つまり、ノーヘルが合法でした。

その後、オートバイが増えて事故も増え、ヘルメット着用は法で定められ、ヘルメットをかぶらずにオートバイに乗ると違法になりました。

その法律ができる前にヘルメット無しでオートバイに乗っていた人たちを、後から作った法律で罰することができるでしょうか。

次に、裁判というものは、公平に行われなくてはなりません。

ところが東京裁判は、戦勝国が敗戦国日本を裁くという、極端に不公平なものでした。とても裁判といえるものではなく、それはリンチ以外の何者でもありません。

当時の日本の首相など、敗戦国の代表者たちは絞首刑によって罰せられましたが、原爆を落とした責任者たちは無罪どころか、訴えられてもいません。

東京を含む日本各都市への大空襲の責任者たちも同じです。日本はパールハーバーという軍港を攻撃し、数千人のアメリカ軍人を殺してしまいました。

でもそれは国際法に基づいたものでした。ところがアメリカは、国際法を破って、広島、長崎を原爆にて、東京を含む主要都市への不必要な空襲で、30万人以上の民間人を殺害しました。

そんな比較は無意味かもしれませんが、日本軍が殺した相手は戦闘を行なうためのアメリカ軍人です。ですがその反対にアメリカ軍が殺した30万人以上の人たちは、日本の一般人・民間人なのです。

何十万人もの民間人を殺した責任者は罪を問われもせず、軍人を殺傷した責任者は絞首刑です。これをリンチといわずに裁判と言っています。

裁判中に、心ある公平なアメリカ人の弁護士のひとりがその点を突いてくれましたが、そこだけ英和訳はカットされ、理由は将来述べるということで裁判長から却下されてしまいました。

GHQのWGIPという、戦後の日本人洗脳プログラムは大成功したと言わざるを得ません。

忘れてはいけないのは、有色人種は19世紀の後半まで奴隷として西洋人(白人)に使われていたことです。

売り買いされたり、その扱い方は家畜同然でした。日本はそういう西洋からの侵略から免れていましたが、元々有色人種です。

日清戦争、日露戦争で勝利した有色人種の日本人は、アジアから中東にかけての有色人種たちから絶賛されました。

いえ、東欧の白人たちからさえも賞賛されました。但し東欧のその白人たちは強国から虐げられていた弱い立場の白人たちでした。

では強国の白人たちは、その有色日本人の勝利を喜んでいたでしょうか?第一次世界大戦後、パリ講和国際会議で日本は人種差別撤廃を訴えました。

でも無視される結果となりました。時はまだ1919年、西欧列強の国々が植民地を貪っていた時代だったので無理もありません。

第二次世界大戦後、村松剛という人が交換教授でカナダに滞在していた時に、ニューヨークタイムズの面白い切り抜き記事のコピーをお土産に、三島由紀夫氏と石原慎太郎氏に持ち帰って見せました。ひとつはドイツが降伏した時の社説です。

「我々は勝利してよかった。だが、ドイツ人とは本来友人であり、ドイツ人は優秀だから、将来を見据えて、彼らがナチスを排除するなら、我々はドイツの再建に協力していこう」 と、書いてあったそうです。

そしてもうひとつは、日本が降伏した時の社説で、その横には恐ろしく大きなナマズのような化け物がひっくり返って口を空けているところで、やっとこを手にしたGIが2,3人で牙を抜こうと格闘している漫画が載っていたそうです。

そして社説は、「この怪物は倒れたが死んだわけではない。我々はこの化け物の牙と骨を徹底的に抜き去らなければならない。この作業は戦争に勝つよりも難しいかもしれないが、アメリカは自分のためにも、世界のためにもこの作業を続けなければならない」

(村松剛さんの情報は、「勝つ日本」石原慎太郎著から)

この発想・思想がWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム) につながるわけです。

実際に、GHQが日本に来る時は、神風特攻隊の攻撃や、地上でも日本軍の決死の突撃を受けるなどの苦い経験をしていたので、日本人とはとんでもない人種だ、占領下の日本を統制することは一筋縄ではいかないと覚悟してきたそうです。

ところが実際には、日本人のその従順さに拍子抜けしたそうです。

出る杭は打たれるといいますが、有色人種の中で飛びぬけて出た杭である日本人は、先進列強諸国の白人たちから見てみれば、非常にいまいましい存在だったわけです。